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グラミー5冠、全世界累計セールス2億2千万枚以上
世界的歌姫セリーヌ・ディオン
6年ぶりに日本へ舞い戻る

 

 1968年、カナダ・ケベック州で14人兄弟の末っ子として生まれたセリーヌ・ディオンは、音楽一家のなかでもとりわけ歌のうまい子供だった。12歳のときに地元で有名なプロデューサー&マネージャーのレネ・アンジェリルに師事し、94年に彼と結婚。セリーヌ26歳、レネ52歳のときのことである。

 母になることを望んだセリーヌはしばらく休養するつもりだったが、ちょうどその頃、彼女の歌手人生を大きく決定づけるある出来事が起きる。映画「タイタニック」(97年公開)の主題歌を歌わないか──。オファーを受けたときのことを、彼女はこう振り返る。「曲を聴き、ストーリーを聞いた私はすごく感動した。今は休養の時ではない。この歌を歌わなくては絶対に後悔する」。映画が公開され主題歌が大ヒットすると、休む間もなくツアーがスタートした。「でも、途中で止めるわけにはいかなかった。レネと私の合い言葉は『やるなら最後まで徹底的に』だから」。

 2003年に始まったラスベガス公演「ア・ニュー・デイ」の舞台である円形劇場は、ラスベガスの高級ホテル、シーザーズ・パレスがセリーヌのために建設したものだ。元シルク・ドゥ・ソレイユのプロデューサー、フランコ・ドラゴーネが演出する豪華なショーは連日売り切れとなる人気ぶりで、当初3年だった契約期間を延長。07年に一時休演するまで、彼女の歌声を聴こうと世界中から観客が集まる人気公演となった。

 10年に42歳で双子の男の子を出産したセリーヌは、昨年12月にスティービー・ワンダーとのデュエットをはじめ豪華アーティストを多数迎えた6年ぶりのスタジオアルバム「LOVED ME BACK TO LIFE」をリリース。ラスベガスでの公演も再び始まり、すでに15年3月末までのスケジュールが発表されている。

 秋からはいよいよ日本を含めたアジアツアーの準備に入る。08年に東京と大阪で4公演、16万人を魅了して以来、6年ぶりの来日公演となる。おなじみのヒット曲を、本場ラスベガス以上のスケールで。セリーヌ・ディオンのディーバ伝説が、いま再び幕を開けようとしている。

「音楽がある人生しか知らない。私にとって音楽は、酸素のようなもの。
感謝、不安、幸せ、哀しみを歌で表現していきたい。」
「私は本当にこのツアーをやる事に興奮しています。日本にまた行く事ができて楽しみ。
いつもたくさんの愛で私を支えてきて下さったファンの皆さんにお会いできるのが本当に待ち遠しいです。」
- Celine Dion

 

●1968年3月30日、カナダのケベック州にてフォーク・ミュージシャンの両親のもと14人兄弟の末っ子として生まれる。

●とにかく歌の好きな、そして非凡なほどうまい子供で、それに気づいた母がデモ・テープを録り、偶然耳にした地元のプロデューサー/マネージャーに見い出され契約を結ぶ。時に1980年、その人物レネ・アンジェリルとセリーヌの運命の出逢いであった。

●レネは私財を投じて彼女のレコード・リリースを実現し、1981年にはカナダ中に天才少女シンガーとして話題に。

●1982年、""第13回ヤマハ世界歌謡音楽祭""出場のため初来日し金賞に輝く。

●1984年にはパリのオランピア劇場に最年少で出演。母国語であるフランス語でのセリーヌのレコードは彼の地でも大ヒットを記録する。

●1987年にはソニー・カナダからのアルバムが本国でビッグ・セールスとなる。

●1988年にはユーロヴィジョン・ソング・コンテストで優勝。エルトン・ジョンに絶賛される。

●1989年のジュノ・アウォーズでのパフォーマンスの際にデヴィッド・フォスターから強いアドヴァイスを受けて決意。2カ月間ベルリッツに通い英語を特訓。

●1991年、制作予算におよそ100万ドルを費し、ほぼ2年という歳月をかけて完成したインターナショナル・デビュー・アルバム『ユニゾン/UNISON』をリリース(初の全曲英語詞の作品)。発表に伴い、全米100カ所以上で親ぼくを深めるためのパーティーを開き、純朴でひたむきなキャラクターとすでに充分過ぎるほどの個性と正確さを備えた歌唱力を直接伝え続け、同様の主旨で来日プロモーションも展開する。全米第74位まで上昇。ここからは「哀しみのハート・ビート」(全米第4位)と「(イフ・ゼア・ワズ)エニィ・アザー・ウェイ」(同第35位)がヒット。

●1991年3月、セリーヌは本国カナダにおけるグラミーに相当するジュノ・アウォーズ(第20回)で最優秀アルバムに輝き,同時に最優秀女性ヴォーカリ ストに選出される。この年8月にマイケル・ボルトンのスペシャル・ゲストとして同行したツアーのトロント公演でおよそ40万ドルの興業収益を記録。

●1992年、『セリーヌ・ディオン/CELINE DION』リリース。全米第34位。「ビューティ・アンド・ザ・ビースト」(全米9位)、「イフ・ユー・アスクド・ミー・トゥー」(全米4位)など収録。 「ビューティ・アンド・ザ・ビースト」(ピーボ・ブライソンとのデュエットでディズニー映画『美女と野獣』のテーマ)が、'92年3月に第65回アカデミー・アウォーズにて主題歌賞に選出される。7月より再びマイケル・ボルトンのスペシャル・ゲストとして全米40都市を回るコンサート・ツアーを敢行する。9月に""アーセニア・ホール・ショー""、12月に""ザ・トゥナイト・ショー""といった全米の人気TVプログラムに出演。

●1993年2月、「ビューティ・アンド・ザ・ビースト」は、第35回グラミー・アウォーズの最優秀ポップ・デュオにも輝き、さらに3月にはジュノ・アウォーズにおいて最優秀シングルと最優秀女性ヴォーカリストにも選ばれる。

●1993年、『ラヴ・ストーリーズ/THE COLOUR OF MY LOVE』リリース。全米第4位。「めぐり逢えたら・愛のテーマ」(全米第23位)、「パワー・オブ・ラヴ」(同第1位:初の全米1位)、「ミスレッド」(同第23位)、「シンク・トワイス」(同第95位)がヒット。

●1994年2月にディズニー・チャンネルで1時間のスペシャルが放送され、ラスベガスMGMグランド・ホテルでの""ジャクソン・ファミリー・オナーズ""にも出演するなど引き続き着実にスーパースターへの地位を歩む。

●1994年5月、カナダ・ツアーの合間に来日を果たし""JTスーパー・プロデューサーズ:デヴィッド・フォスター""に出演してトリを務め武道館の舞台で 熱唱('82年の音楽祭参加時以来の公式なパフォーマンス)。

●1994年8月、人気TVプログラム""ザ・レイト・ショー・ウィズ・デヴィッド・レターマン""に登場。

●1994年12月、初の単独来日公演まで、カナダ/アメリカ/ヨーロッパ・ツアーを展開し、急激にファン層を拡大する。ジャパン・ツアーはセリーヌ独身最後のライヴ・パフォーマンスに。

●1994年12月17日、長年のビジネス・パートナーでもあったレネ・アンジェリルとモントリオールで結婚(この時、セリーヌ26歳・レネ52歳)。

●1995年、『ラヴ・ストーリーズ』の全世界的セールス状況は衰えず、とりわけイギリスで2月に「シンク・トワイス」がNo.1になってからさらに売れ 続けセリーヌはビートルズが'65年に「アイ・フィール・ファイン」と『フォー・セール』で成し遂げて以来、初めて5週以上シングルとアルバムを同時に第1位にし続けるという記録を樹立。5月には第7回ワールド・ミュージック・アウォーズ席上で、年間最多セールス・カナディアン・アーティストのトロフィーを受ける。

●1995年、『フレンチ・アルバム』の発表をはさんで英語作品第4作のレコーディングが5月に始まり、夏のアメリカ・ツアー、秋のヨーロッパ・イギリス・ツアーと並行して続けられた末に次作品を完成。

●1996年3月、『フォーリング・イントゥー・ユー/FALLING INTO YOU』リリース。全米第2位を記録。ここからは「ビコーズ・ユー・ラヴド・ミー」(全米第1位)、「イッツ・オール・カミング・バック・トゥ・ミー・ナウ」(同第2位)、「オール・バイ・マイセルフ」(同第4位)、そして日本ではTVドラマ『恋人よ』主題歌「トゥ・ラヴ・ユー・モア」が大ヒット(アイリーン・キャラの「フラッシュダンス…ホワット・ア・フィーリング」以来12年ぶりに洋楽曲としてのオリコンNo.1を獲得)。アルバム発表に併せて、意外なことに初のヘッドライナーとしての全米ツアーに突入。

●1996年7月にアトランタ・オリンピックのオープニング・セレモニーで「パワー・オブ・ザ・ドリーム」を感動的に披露した。秋以降、ヨーロッパそして本国カナダでのツアーを続ける。

●1997年2月、セリーヌは横浜アリーナを皮切りにジャパン・ツアーを行ない、日本武道館や大阪城ホールを満杯にする動員に成功。ツアー後、早くも次のアルバムに取りかかる。

●1997年11月、『レッツ・トーク・アバウト・ラヴ/LET'S TALK ABOUT LOVE』リリース。TVドラマ『イヴ』に提供された「ビー・ザ・マン」が先行ヒットとなった後、史上最大のヒット作となった映画『タイタニック』の主題歌「マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン」が空前の大ヒット。

●1998年10月、『スペシャル・タイムス/THESE ARE SPECIAL TIMES』リリース。全米第2位。ここからはR.ケリーとの「アイム・ユア・エンジェル」が大ヒット(全米第1位)。

●1999年1月から2月にかけてすべてがドーム会場という最大規模の日本公演を完全なソールド・アウトにしたセリーヌは「マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン」により第41回グラミー・アウォーズで最優秀レコード他、計4部門を受け(アカデミーはすでに前年受賞)。

●1999年11月、『ザ・ベリー・ベスト/ALL THE WAY...A Decade Of Song』リリース(7曲の新曲を含むベスト・アルバム)。アルバムのタイトル・ナンバーで、フランク・シナトラが1957年から'58年にかけて全米大ヒット(第2位)にした名曲に本家シナトラのヴォーカル・パートをミックスし、夢のデュエットを実現。

●1999年12月31日にはモントリオールで""グランド・フィナーレ""と銘打たれたミレニアム・ショーをもって活動休止。最愛の夫レネの看病、そしてごく普通の家庭人としての生活を営むために。

●2001年、第1子出産、ラスベガスに家族で引越。

●2002年、アルバム『ア・ニュー・デイ・ハズ・カム』で復帰。

●2003年、シーザーパレス・ホテルでセリーヌのために建築されたシアターで、セリーヌだけのショー「A NEW DAY」をスタート。年間160本以上行われ、一晩約3万円のチケットが3年間で300万枚もソールド・アウトする。

●2007年春、夏 新作のレコーディング。11月にアルバム「TAKING CHANCES」リリース。

●2007年12月15日、[A NEW DAY]千秋楽(同12月19日DVD化リリース)。

●2008年1月16日、伊藤由奈とのコラボ・シングル「あなたがいる限り~A WORLD TO BELIEVE IN~」リリース。2月14日からワールド・ツアーを開始!完全ベストリリースとともに9年ぶりの来日公演を実施。

●2010年1月31日にCBSで生放送された(日本は2月1日、WOWOWにて放送)、第52回グラミー賞でマイケル・ジャクソンへのスペシャル3Dトリビュートとして、セリーヌ、ジェニファー・ハドソン、スモーキー・ロビンソン、キャリー・アンダーウッド、アッシャーが共演し「アース・ソング」を熱唱。

●2010年3月、2011年3月より米ラスベガスのシーザーズ・パレスにて3年間、累計210回のショウを行う契約を新たに結んだことを発表。

●2010年5月31日、体外受精にて双子を妊娠したことを発表。セリーヌは昨年8月に二人目の妊娠を発表したものの、残念ながら11月に流産をしていたことが明らかになっている。双子は同年10月に無事生まれている。名前はエディーとネルソン。

●2011年3月15日、シーザーズ・パレスにて、グラミー多数受賞のベテラン・プロデューサー ケン・エールリッヒが監督する新たなショーが開幕。休演期間をはさみつつ累計210公演行う。2013年12月30日より再開予定。

●2012年11月、フランス語歌唱アルバム『Sans Attendre』をリリース。フランスではダイアモンドを獲得し、フランス、カナダ、ベルギーで1位を獲得。

●2013年9月、英語歌唱のスタジオ・アルバムとしては6年ぶりとなる『ラヴド・ミー・バック・トゥ・ライフ』の11月発売を発表。

 

 

 

 

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